2013年12月22日(日) 獅子舞の里 野原を巡るコース(JR線を使ったウォーキング) (車、徒歩)
本日の二つ目の目的である「獅子舞の里 野原を巡る」ウォーキング。先日、道の駅 奥伊勢おおだいにて入手した次のコースマップの順路を逆行するルート。
車を駐めたJR栃原駅からここJR川添駅まで熊野古道を歩いて来たので早めの昼食となった。(11時前)
昼食を終えると川添駅を出発した。なお、この記録では先のウォーキング・マップに記された番号も写真の見出しに添えた。推奨ルートを逆行するので (17) からのスタートとなった。
先ほど歩いた線路沿いの道(?)は通らずに、アスファルト舗装されている熊野古道を逆行した。ほどなくJR紀勢本線 下楠踏切を渡ると
国道42号の七保大橋北交差点に到着。
渡る直前で赤信号になってしまったので、待ち時間が長かった。(さすが、交通量が多い国道?)
国道を渡ってから振り向いてパチリ。
そして、前進方向、眼前には宮川に架かる七保大橋だ。
パノラマでパ〜チリ。
右手、上流方向には先日訪問した粟生頭首工が見える。
【参考】
七保大橋の中間付近では宮川の下流側もパ〜チリ。
橋を渡り終える付近で右方向を望むと高台に朱色の鳥居が見えた。ここは社叢だ。
マップに従ってUターンするルートを探ると、亀屋勉強堂(お菓子店)の先を右折した。
坂道を下ると先ほど渡った橋が眼前に・・、
この分岐で左手を見ると鳥居があり、その左隣には「八柱神社」の社標があり、
鳥居の右手には「正一位稲荷大明神」の社標が建っている。先ほどの朱塗りの鳥居はやっぱりお稲荷さんのものだ。
階段を上ると
広い空間があり、正面には稲荷社と八柱神社が並んで祀られている。お参り。
また、その隣には
祠や墓石・・・。
境内の隅から先ほど歩いた橋をパチリ。(実はこの橋の下をくぐってから社叢を巻くように左からUターンすべきだったが、・・・)
社殿に向かって左方向へ道が続いていたので、その道を進んだ。すると途中で道は途絶えあぜ道となった。仕方なくこの斜面を下ってから振り返ってパチリ。(打見八柱神社の社叢を巻くように橋の下からUターンするのが正しいルートだ。)
この後は打見八柱神社を背にして道なりに進むと
前方のフェンス越しに粟生頭首工が近くに見えた。かなり近づいている。ここで道は左へ折れ上りとなる。
途中の分岐は無視して道なりに進むと
県道に突き当たる。ここで右折。
この道路は「打見大台線」、しばらく道なりに進むと
この雰囲気。道路は左へ急に曲がっている。ここを直進してノリタケ伊勢電子株式会社 大宮工場へ向かうと門の手前右側に
大神宮山御幣魚取神社が祀られている。
当社の前には次の由緒が記されていた。
鳥居をくぐり短い参道を進むと小社が祀られている。
魚取神社で折り返すと戻る途中で左手に粟生頭首工が見えた。七保大橋からは小さく見えた頭首工の対岸まで来ていたのだ。
さらに戻ると先ほど合流し右折した丁字路、ここは直進だ。
左手にある鶏舎を過ぎて逆S字に曲がると左手に「慶林寺」の表札がある門柱があった。この先に見える瓦屋根が御堂だろう。
さらに進むとこちらが正面の入口だ。
まずはお参り。
境内からこれから進む道を確認してパチリ。
慶林寺から先へ進むと
左手に大紀町打見構造改善センターが建っている。
この手前の路地を右折した。左右を注意を払いながらゆっくりと歩いたがなかなか伊良子清白の碑は見当たらなかった。「どこだ?どこだ?」と諦めかけた頃には中央線がある車道(伊勢大宮線)に出た。
伊良子清白の碑を見学するのは諦めてここを左折して先へ進む、左に次の案内板を見つけた。「伊良子清白の墓」。その先に大きな石・・・、もしかして!
その石に近づくとそれは
「伊良子清白の碑」だった。こんなところ(大紀町役場七保支所の駐車場)に設置されていたのだ。
こんな感じだ。
また、
【参考】 鳥羽市で伊良子清白にまつわる場所を巡った記録
伊良子清白の碑を後にしてから「七保警察官駐在所前交差点」を右折すると
こんな干し草ロールを発見。
その先で、藤川に架けられた野添橋を渡った。
左手前方に・・・、 あれは旧道だろう。橋が切断された道が・・・。(野添橋を渡ってから旧道へ回ってみたが立入禁止となっていた。そりゃそうだ、自殺の名所にするわけには・・・。でもあの上から川底を覗いてみたい気もする。)
橋の先を道なりに進むと、水路と梅林が多数。(この後訪問した神正寺の管理当番の男性によると梅を目当てに訪れるカメラマンが多いそうだ。)
この先で道路はY字路となった。マップでは左。
しかし、右折のポイントがよくわからない。ここで曲がってみた。が、「ブー」。
先ほどY字路で別れた道へ出ると山側に注意を向けながら先へ進んだ。あのY字路から思ったより離れた場所でそれらしい分岐に到着。マップで (12) 神正寺へ右折する路地だ。
この路地へ入り道なりに進むと前方の高台に御堂?、その左は本堂か? やっと宝物を見つけたように心踊らせながら小走りで・・・。
やっぱりここだ。石段を上ると当番で当寺をお守りしている方々にお会いした。男性の好意で本堂および右手の高台にある子安地蔵堂を拝見することができた。(感謝)
こちらは子安地蔵堂の中に掛けられている絵、地獄を表しているそうだ。左上に見える大きな存在が閻魔大王だろう。
お二人にお礼を述べると神正寺を後にした。振り向いてパチリ。
先ほどの道路へ戻ると(12) 神正寺とは逆方向に(11) 野添神社の鳥居が見えた。あれが社叢だ。
目の前に見えていたのだが直進する道がなかったので、少し先へ進んでから左折し少し戻った。するとその道の脇には遺跡の発掘現場があった。
【参考】 かなり重要な遺跡のようだ
- 野添大辻遺跡 ( 第2次 ) 発掘調査 現地説明会資料 – 三重の文化 (PDFファイル)
遺跡を背にして参道を進むとここが(11) 野添神社。
平成二十年、つまり五年前に中遷宮が斎行されたとある。
手水を受けてから鳥居をくぐり
お参りした。小社だがいい雰囲気だ。
野添神社を後にして発掘現場まで戻ってきてパチリ。この場では水路だと思って撮ったのだが帰宅後に調べたところこの筋は道(先ほどのリンクの資料では「道1」)と判断されているようだ。この資料を確認していて「魚取神社からここまでは熊野脇道」であることを知った。(歩いている時は全く意識になかった。知っていたらもっと違う歩き方ができただろう・・。)
熊野脇道へ戻ると(09) 観音堂を目指した。(観音堂は(08) 野原神社の脇を通り過ぎたその先にある。)
車がほとんど通らない伊勢大宮線(熊野脇道)を進むと右手に「炭工房 竹物語 炭友会」の看板がありその奥には炭焼き小屋の屋根が見えていた。
さらに進むと
七保林道之碑。
集落をつなぐ道路を黙々と進むと
野原工房 げんき村の看板。「鹿ちゃんコロッケ」「猪丼」、今流行りの野生動物の肉を使ったジビエ料理なのだろう。しかし、今日は日曜日だから休業だった。
さらに進むと右手に「七保小学校スクールバス停」。
ここから下ると
見覚えがある建物。先日、野原神社(七保神社)を訪問した時に車を駐めさせてもらったJAの付近だ。
【参考】
JA伊勢 大宮支店野原の先に見えているのは(08) 野原神社。
(08) 野原神社の脇を通り過ぎて先へ進むと道路はこのように分岐している。
右を選択するとその先には(09) 観音堂がある。
「ハチ注意」の警告が貼られていたので注意しながらお参り。
観音堂の脇にあった常夜燈をパチリ。
観音堂を後にして先へ進むと
先ほど分岐した道路との合流点の先に(10) 肉牛集出荷場がある。
牛の姿を見ることはできなかったが、臭いでその存在を感じることができた。
(10) 肉牛集出荷場から(08) 野原神社へ戻る途中でパチリ。
そしてこちらが先日お参りした野原神社。
今気づいたが、野原神社の社務所には「いこいの家」の看板も掛けられていた。
そしてこちらが野原神社(七保神社)の社標。並立している。
七保神社の方は村の文字が埋め潰されている。この件については、先の記録で。
【参考】
鳥居の手前右手にある手水舎で手水を受け、心身を清めてから鳥居をくぐった。
参道の先に見える拝殿に到着すると前回の訪問の記憶が蘇った。あの時はまさに新嘗祭の斎行が開始されようとしていて、拝殿下には神饌が準備されていた。
今日は私一人で独占だ。お参り。
お参りを終えて参道を戻ると手水舎の裏手にある参道を下った。
下りきって鳥居を出てから
振り返ると「あっ、そうだったんだ!」と疑問が一気に解決した。
三重県神社庁 教化委員会のホームページでは七保神社として紹介されていて、そこで使用されている写真がまさにこの場面のものだった。住所からこの神社だと同定していたのだが、ホームページの写真に納得できていなかった。その疑問が一気に解決、「爽快」だ。
【参考】
なお、この鳥居の手前右手には「御手洗場」の案内板がある。
石階を下ると清らかな流れが石垣の石の間から生じている。
御手洗場から鳥居をパチリ。
少し離れた場所(橋の上)から全景をパチリ。石垣が立派だ。
そして、橋の親柱を見るとそこには「宮下橋」の名があった。
JAがある野原交差点まで戻り、宮川方向に向かってパチリ。右手に野原神社がある。ここを右折して来た道を戻ると
左手に高い石垣があり、
この階段の先に鳥居が見えた。ここが(野原)祖霊社だ。
階段を上り切ると鳥居の手前右手には
珍しい形状の手水石がある。外側は変形の六角形だ。
また、境内には「牛魂碑」。先ほどの(10) 肉牛集出荷場を思い出すと共に、七保が松阪牛の里であることを思い出した。
そして、こちらの建物が野原祖霊社。
その左手には土塀が残されていた。
「野原祖霊社」の名板を再度確認してから
七保第一小学校跡に立つ (07) お葉つきイチョウへ向かった。
さすがに時期が遅すぎたので見頃は過ぎてしまったが、再訪する理由を残すことができた。
今度はお葉つきイチョウを見てみたい。
申し訳なさそうに残されていた銀杏をパチリ。
野原祖霊社の前へ戻り、通り過ぎると宮川へと続く道路へ出た。次の写真の右手方向は歩いてきた。前方に二本の道路が見えるがこれから進むのは右側。
「野原工房 げんき村」の→と同じ方向、右側の道路を進み、しばらくすると
次の分岐が現れる。右方向へ坂を下り
特別養護老人ホーム 大宮園を右手に見ながらさらに進むと
駐車場の先に宮川が見える。
さらに下ると
この付近が(05) 野原の渡し場(跡)だ。
下った坂道を上り返し、先ほどの分岐を先へ進むと止まれの先が(03) 野原公園。
かなり広い公園だ。
その片隅、野原橋の南詰付近には「義務教育と地方自治の先駆者」である大瀬東作さんの像がある。
大瀬東作像を後にして野原橋(宮川)を渡った。
まずは宮川の上流側をパチリ。
次に先ほど辺りへ下った下流側、野原の渡し場跡方向をパチリ。
橋を渡り終えるとそこは大台町となる。宮川は大台町と大紀町を隔てている。
ふと下を見ると、自分の影が見えた。思わずパチリ。
野原橋を渡り坂道を上る途中で視界が開けたのでパチリ。野原の渡しへはどの辺りから下ったのだろうか?
この先で道路は宮川から離れ国道42号を目指した。右手には茶畑が続き、
この看板が現れてもさらに先へ進んだ。
すると見覚えがある交差点に到着した。
車では何度も通ったことがあるし、川添神社の五身懸祭の道中練り歩きでも通った場所だ。
【参考】
国道42号を新田交差点で渡ってからパチリ。「↑熊野古道・バカ曲り」の文字。もう少しで朝通った道に出る。
この先で、朝通った道を(02) 川添神社の方へ戻った。
五身懸祭を回想しながら
参道を進んだ。
説明書きをパチリ。
谷深い場所にある手水舎でにて鍛金加工された龍の口から手水を受けて心身を清めた後、川添神社にお参りした。ここでも独占状態だった。しばらくこの雰囲気に浸っていた。
川添神社を後にすると
JR栃原駅へ続く道路を進んだ。
本日の風の強さを証明する光景をパチリ。JR栃原駅に到着。
無人駅なので
ホームへ入ると新宮方向を眺めた。5月に踏破した熊野古道伊勢路を回想しながら・・・。
【 20131222 の記録 】
- 熊野古道伊勢路(JR栃原駅〜JR川添駅)
→ バカ曲がり(熊野古道伊勢路)
→ 神瀬橋(眼鏡橋)
→ 殿様井戸(熊野古道伊勢路) - 獅子舞の里 野原を巡るコース(JR線を使ったウォーキング)
桝屋様、懐かしく拝見しました。獅子舞が大好きで検索していてヒットしました。栃原駅、野原公園は帰省時に訪れています。いつか地図の通りに巡ってみたいと思います。良い地図をありがとうございます。
よしむらひろこ さん
こんばんは、コメントありがとうございました。
最近はスパムメッセージが多いため、最初のコメントは承認方式となっています。
承認が遅くなりスミマセンでした。
私も獅子舞が好きですが野原神社の獅子舞を体感したことがありません。いつかは・・・
また、このウォーキングコースをゆっくりと歩くものいいものです。ぜひとも体感してみてください。
では、また、
栃原駅と野原公園、懐かしく拝見しました。
いつか地図の通りに巡ってみたいと思います。
ありがとうございます。